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鷲頭山長寿寺 緑区大高町

高蔵坊稲荷 開基、佐野寅三郎

その昔、大高の鷲巣山のふもとに小さなお寺がありました。そのお寺には参拝者もなく、お寺は荒れ果て、お堂は所々が傷んでいて、雨が降るたんびに雨漏りしていました。
それでも和尚さんは、毎日、毎日、朝まだ暗いうちからお経を唱え、仏道の修行に励んでいました。
ある日のこと、いつも通り和尚さんが、お経を唱えていると一匹の老狐がお堂にやってきて、和尚さんの横にちょこんと座り、和尚さんをまねて一緒にお参りをしているようでした。
和尚さんはその老狐をたいそうにかわいがり、その日から老狐はお寺の境内に住み着き、毎日、毎日、まだ朝暗いうちから和尚さんと一緒にお参りをして暮らしていました。
ある日の事、いつも通りお経をあげていると、突然大雨が降ってきました。破れた天井からは雨が滴り落ちて、大事な観音様がびしょびしょに濡れてしまいました。
「あぁ観音様、申し訳ありません、せめてお堂だけでも建て直すことが出来たなら・・・」和尚さんの目から涙がこぼれ落ちました。
それを見ていた老狐は、その日からふっとどこかへ行ってしまい、姿が見えなくなってしまいました。

老狐が姿を見せなくなってから幾月がたち、和尚さんも老狐のことを心配して気に掛けていました。(あの老狐は、元気で暮らしているだろうか・・・)
そんなある日のこと、久しぶりにお寺を参拝する方が訪れました。聞けば関東からみえたと言うではありませんか「この間はどうも、また和尚さんのお話が聞きたくて・・・」
和尚さんはびっくりしました。(私はどこへも出かけてはおらんが・・・不思議なこともあるもんじゃ・・・)

また次の日も、参拝者が訪れました。「また和尚さんのお話が聞きたくて・・・」またまた関東の方から、遠路はるばるみえたらしい・・・
それからと言うもの、一人また一人と、駿河、遠江、江戸など様々なところから、和尚さんの説法が聞きたいと言う参拝者が次々に訪れました。(そうか、あの老弧が私に化けて各地を廻ってくれているのだな・・・)
そのお陰で和尚さんはお堂を新しくする事が出来ました。
やがて、老弧もこのお寺に戻り、また和尚さんと仲良く暮らしました。そして、老弧が亡くなると和尚さんは、その亡骸を手厚く葬り、お堂を建てて「高蔵坊稲荷」としてお祀りしました。今でも、長寿寺にその「高蔵坊稲荷」は祀られています。

参考・・・毎年、3月の第一日曜日に「高蔵坊稲荷大祭(商売繁盛)」が行われ、多くの人でにぎわいます。

さて今日は、その長寿寺というお寺のお話、長寿寺は緑区大高町という所にあり、山号を「鷲頭山」と号します。そう「鷲頭山」と言うのは、あの桶狭間の合戦の舞台となった「鷲津砦」と「丸根砦」のあった場所で、南北に広がり、まるで大鷲が羽を広げて休んでいるかの様に雄大で、どこか神秘的な山です。
その鷲津山のふもとに長寿寺はあります。

鷲頭山長寿禅寺は元々「鷲巣山長祐寺」と言う真言宗の寺で、その長祐寺は桶狭間の戦いで、鷲津砦の戦に巻き込まれ、お寺が焼失してしまった為、長祐寺の草創の年月は不明です。
しかし、村に伝わる伝説によると・・・・・あるとき大鷲が山の林間に巣を営んでいました。そこへ薪取りがやって来て薪を集めていると、はるかに光っている巣を見つけます。薪取りは巣に近づき、恐る恐る巣の中を覗き込むと、巣の中に目映いばかりに光を放つ何かを見つけました。
そこでひそかに調べてみると、それはなんと観世音菩薩の尊像ではありませんか。薪取りはそれを村に持ち帰り、村人達と協力をしてお堂を建て、観世音菩薩を安置して「長祐寺」としました。その観世音菩薩は霊験あらたかで、今でもこの地をそっとお守りしております。
それ以後、お堂の背後に広がる山を「鷲巣山(鷲津山)」と呼ぶようになったそうです。(大鷹にあるのに大鷲なんですね・・・)

参考・・・永禄3年(1560)今川義元の大軍が尾張に攻め寄せました。これに対し織田軍は鷲巣山に、鷲津砦、丸根砦を築き防戦をしますが、この地での戦いは敗戦してしまいます。その兵火に巻き込まれ長祐寺は焼失してしまいました。しかし観世音菩薩だけは火難を免れ無事であったと伝わっています。

その後江戸時代に入り、寛文四年(1664)名古屋城の総鎮守、三之丸鎮座天王社(現、中区丸の内、元、明倫堂敷地)及び若宮八幡社 (現、中区栄)の宮寺、亀尾山安養寺華王院(天王坊、明治五年廃寺)の本地堂の御本尊であった木彫阿弥陀如来像を、故あって大高の地に移され、現在も長寿寺の御本尊とされています。
(ここで疑問・・・寛文四年(1664)に御本尊を当寺に遷座された後は、明治五年まで亀尾山安養寺では、本地堂の御本尊はどうされていたのか・・・。また天和2年(1682)まで鷲頭山長寿寺は完成しておらず、紫金山慈眼寺の御本尊は鳥居松に遷座されたとして、紫金山慈眼寺がこの地に移されるのは延宝8年(1680)の事で、16年余りの間、木彫阿弥陀如来像は何処に鎮座されていたのか・・・未だ結論に至らず・・・)

寛文5年(1665)尾張藩の家老の一人、大高領主、志水甲斐守忠継が亡くなり、まだわずか4歳の志水右衛門忠時がその跡を継ぎます。
寛文7年(1667)志水右衛門忠時の大母、長寿院元操尼は、臨済宗黄檗派(宇治、黄檗山萬福寺)の信仰深く、臨終に際し「鷲頭山の地に禅寺を建立し、妾(わらわ)の像を安置せば、永く此地を守護せん(守護するであろう)。」と孫の忠時に遺命されました。

延宝8年(1680)、19歳となった大高領主、志水右衛門忠時は、かつての大母の遺命をかなえる為に、鷲巣山長祐寺址地に春日井郡三淵村(現、小牧市)の臨済宗黄檗派、紫金山慈眼寺を引き移し、その紫金山慈眼寺を開山した越博紹付(道付)和尚を、大高の臨済宗黄檗派、紫金山慈眼寺へ迎え、当寺の開山としました。これが現在の長寿寺のはじまりです。
そして時の尾張藩主、徳川光友は、忠時の志を知り、これを褒め称えて寺域の拡張を許され、この時代では格別の寺領100石を賜ります。これには時忠もとても驚き、喜び感謝をしました。
そして直ぐに宮大工を呼び寄せて、お寺の着工に当たらせました。

参考・・・越博紹付(道付)和尚は尾州熱田の人で、俗姓は松平(母方は、小出氏)、元和二年(1616)7月13日、源朝臣、松平十郎左衛門信良の孫に生まれています。 寂、天和3(1683)年4月7日 ここ長寿寺で亡くなられました。享年68歳
寛文12年(1672)春日井郡三淵村(現、小牧市)に臨済宗黄檗派、紫金山慈眼寺を開山しますが、その後、越博の弟子、単博の時代に衰えた旧慈眼寺をあきらめて、春日井郡松河戸村(現、春日井市)に臨済宗黄檗派、紫金山慈眼寺を新たに開山します。

天和2年(1682)に新しい伽藍が竣工しました。そして寺号も長寿院元操尼の法名をもって、現在の「鷲頭山長寿寺」に改めました。

この時竣工した寺構は、とても素晴らしく優美であったと伝わっています。今でも「尾張名所図会」に、その時の寺構を見て取れますが、実物はそれ以上に素晴らしかった事でしょう・・・。

寺構は、すべて宇治、黄檗山萬福寺の体裁に倣い、総門、鐘楼、山門、本堂、仏殿、書院、庫裡、衆寮、観音堂、塔頭元惺院、周月院、高蔵坊、稲荷社などが、山上に至るまで建ち並び、その配置は正に輪奐の美を極めました。

参考・・・鷲頭山長寿寺造営大檀越、志水甲斐菅忠時、治工、水野太郎左ェ門藤原政良

参考・・・臨済宗、中国禅宗五家のひとつで、中国唐時代の高僧、臨済義玄禅師を開祖とする禅宗の一宗派、日本では、建久2年(1191)、鎌倉初期の僧、明庵栄西禅師によって開かれました。
(臨済宗と言えば「喝(「カァーツ!!」)」と言った言葉の方が、なじみが深いかな・・・)

臨済宗黄檗派(黄檗宗)、臨済宗黄檗派は黄檗希運禅師(臨済義玄禅師の師)の名に由来します。臨済宗楊岐派に属していた中国の禅僧、隠元隆琦禅師によって、万治3年(1660)、日本の黄檗宗の礎が築かれました。明治9年 (1876)の宗教政策で、臨済宗の一派から独立し「臨済宗黄檗派」から「黄檗宗」となりました。
ちなみに隠元禅師が来日した際に、日本に持ち込んだ豆の事を「隠元(いんげん)豆」と呼びます。

鷲頭山長寿寺、知多四国八十八ヶ所霊場、八十七番札所。御本尊は木彫阿弥陀如来座像、恵心作で、高さ1.32メートル 杉の寄せ木造りで、世に「剱敷の弥陀」と呼ばれています。また、広小路の鉄砲町(現、中区栄)にあった長寿寺の末寺、柳薬師さんと呼ばれた臨済宗永源寺派、古松山新福院(明治七年廃寺)の御本尊、春日作、木彫薬師如来像も、当寺の本堂に遷座されています。
その他にも、観世音菩薩像、地蔵菩薩像が安置されています。

開山は越博紹付(道付)禅師で、貞享元年(1684)に大休禅師が、第二世となりました。貞享五年(1688)第二世、大休禅師退院の後、長寿寺は一度中絶しますが、元禄二年(1689)洛北(京都市上京区)の臨済宗興聖寺派の本山、円通山興聖寺(織部寺)より、道雲石梯禅師が訪問され中興開山されました。なので道雲禅師の住居は円通山興聖寺の方にありました。
そして、長寿寺は臨済宗黄檗派から臨済宗江州永源寺寂室派(滋賀、瑞石山永源寺)に改派されます。(和尚さんがおっしゃるには、改派とは言っても同じ宗派の中の事なのでで、「改派されました」とわざわざ言う程の事でもないと言うことでした。もちろん臨済宗各派の方々と道雲石梯禅師は、色々な付き合いもあり、まったく無関係と言うことも無く、隔たりはありませんでした。)

参考・・・臨済宗永源寺派、臨済宗東福寺派(京都、慧日山東福寺)に属していた寂室元光禅師が始められた一派で、本山として滋賀県に瑞石山永源寺を開山します。(あの戦国時代の禅僧、安国寺恵瓊も東福寺派だったそうですよ・・・)

長寿寺は、尾張藩の家老、大高領主の志水家の菩提寺であった為、江戸時代には庶民の墓地は許されませんでした。当寺寺域、中山の裾には、志水家九代より一四代までのお墓があります。

明治21年(1888)7月19日、火災で本堂、庫裡を焼失しました。この時、長寿寺の前で、東海道本線の工事をしていた工夫等によって、長寿寺の御本尊は運び出され、難を免れました。

明治31年(1898)、新しい本堂、庫裡が竣工しました。

大正元年(1912)9月、日本各地で被害を出した台風により、鐘楼門が倒壊します。

昭和20年(1945)、名古屋大空襲によって、敵機がニチボウ(大日本紡績、現、森の里団地)を狙った焼夷弾は精度を欠き、大きく外れて長寿寺辺りから前之輪(鳴海町)方面に流れ、大高駅、清水池付近や前之輪の民家等と共に、長寿寺の山門諸堂、蔵などが焼失、長寿寺の宝物、貴重な歴史的資料などが灰となってしまいました。

長寿寺は、長祐寺の頃の桶狭間合戦と昭和20年の名古屋大空襲、二度にわたる戦によって、資料がまったく残っておらず、詳しいことは良く分かりませんが、江戸時代には志水家の菩提寺として、尾張藩とかなり密接な関係であったようです。
また歴代の和尚様は、数多くの様々な文献を残されており、長寿寺の歴史は調べれば調べるほどに、歴史オタクの私の興味をそそる、すばらしいものがあります。

歴代住職

中興開山、道雲石梯禅師・・・「漁猟集」「請観音経三昧儀註解」「勧発菩提心文註解」「永明垂誠註解の鈔」

二世、木(山に含)恵倹禅師・・・「跡語録」 

三世、東嶺道(さんずいに解)禅師・・・「童問日用集」

四世、補住心嶺禅師

五世、錬室鴻薫禅師・・・「傅衣考」 

六世、素堂文雅禅師

七世、瑞鷹主諾禅師

八世、海州楚棟禅師(拈華室)、天保6年(1837)当寺住職となりますが、安政元年(1854)奉勅をこうむり永源寺に晋山され、一三四世となります。明治2年(1869)京都、慧日山東福寺の二八八世として住山して師家となります。
世の中が攘夷論による倒幕運動に湧く頃、尾張の国がこれに介入しないよう御尽力をされ防ぎます。その他にも長寿寺2千余円、永源寺一万余円の負債を返済され、什宝売却の難を逃れられました。また、この方は数々のすばらしい書を数多く残されています。

九世、陽春祖芳禅師(鷲巣上人)、青木樹堂(孟純)・・・「尺牘便覧」二巻、「傍善詠有詩集」、「皇漢金石文字墨帖一覧」二巻、「本朝三字経余師略解」、「江戸外史」十五巻、「江戸将軍外史」、「樹堂遺稿 」他、生涯で作られた詩は数千百首を越える。

安政元年(1854)の頃、当寺住職となります。名を可笑、字を孟純、樹堂または鷲巣と言います。僧籍の名は祖芳、字は陽春。
初め、臨済宗天龍寺派、霊亀山天龍資聖禅寺(天龍寺)の観水和尚に内外典を学び、後に斎藤拙堂、梁川星巌と交遊を持ちます。共に史を論じて、時世に憤慨します。

丁度この頃、国家の情勢が不安定な時期で、勤皇の志厚く、田宮如雲、丹羽賢、松本奎堂等と交流を深めて、尾張藩主、徳川慶勝の相談役として度々用いられます。慶応2年(1866)藩の内命を受けて、田中不二麿、丹羽腎等と共に情勢の偵察をする為に長崎へ向かいます。

明治元年(1868)戊辰戦争の際には、藩の密使として江戸に赴き、徳川慶喜との交渉、画策に当たり、ついに徳川慶喜はこれを受け入れました。(陽春祖芳禅師は明治維新の影の功労者です。)
明治3年(1870)藩命により、還俗して武士となり、漢学一等教授に任命されています。樺太属に転じ、農商、会計、病院教育等の幹事を務めます。同5年、職を辞しています。
明治8年(1875)、大蔵省租葆寮属官となり、勤労によって、数々の褒賞を受きます。前途を期待されていたのですが、積年の過労がたたり、明治14年(1881)4月15日この世を去ります。享年57歳

十世、仁鷹楚寛禅師 

十一世、仁州知禮禅師 

十二世、卓州恒寛禅師は多治見の虎渓山で修行後、しばらくの間、学校の教師をされて、昭和12年(1937)当寺の住職となります。 現、十三世住職のお父様

十三世、現在の和尚様、昭和51年(1976)当寺の住職となり、焼失したままの山門その他諸堂の再建に御尽力されました。堂宇を整えられて昭和54年(1979)新しい長寿寺が竣工しました。この時、お墓の土地を確保するために、お寺を従来の場所より若干移転しました。(なので青木樹堂住居址(庫裡)は、現在本堂がある辺りになります)

和尚様の希望により、現在のプライバシー的なところは、調べたすべての資料を割愛させていただきました。(まだまだ書きたいことは沢山あるのですが・・・)
確かに私もこのブログを立ち上げる最初の時に、かなりの数写真を撮ってきたのですが、いざブログに載せようとした段階で、「著作権や肖像権等はどうなんだろう?」とふと思い、写真を見て喜ぶ方もいれば、悲しむ方も見えるのではと、このような殺風景なブログとなっています。
「それでもいいよ・・・」「しょうがないな・・・」とあきらめて、これからも「蓬莱の風」をよろしくお願いします。

現在の十三世和尚様と新命和尚様、年末のお忙しい中、お付き合いいただき大変ありがとうございました。

日本の歴史が大きく変わる「まさにその時!」に関わり、そして見つめてきた、由緒のあるとても素晴らしいお寺です。御住職様も、とてもありがたく温かみのある素敵な和尚様です。興味をもたれた方、一度参拝に訪れてみてはいかがでしょうか・・・。

2011年のアップは、これで最後となりそうです。今年もあと僅かとなりました。今年立ち上げたブログですが、来訪していただいた皆様に支えられて、とても感謝しています。「ありがとうございました!!」そして2012年もよろしくお願いします。

今年の大晦日も長寿寺の108の除夜の鐘の音が、深々と大高の町中に響き渡ります。・・・そして108つを越えていきます。(参拝に来た方で鐘を撞きたいと言う希望者、皆に撞かせてあげたいからだそうです・・・)

お体に気をつけて、来年も皆様にとって良い年が訪れますように・・・それでは皆様良いお年を!!


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Re: 勉強になりました

コメントありがとうございます。ネタばれになってしまうのですが・・・主に尾張徇行記から情報を得ています。ただ僧侶の事となると、そのお寺に行って調べています。後、今回は手元にコピーしかないので本の題名が分からないのですが、鶴舞図書館に「名古屋市の寺院」みたいな本があって、貸し出しは無理だったのでコピーしてきました。あと鶴舞に「寺社奉行日記」みたいなのがありましたよ。これからも「蓬莱の風」をよろしくお願いします。あと誓願寺や瑞祥寺もいずれ書くと思いますので、もし、情報がかぶったらすみません・・・それでは、良いお年を・・・

ありがとうございました。

名古屋の歴史を楽しませて戴いております。

また、訪問と応援ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。

いいお正月をお迎えください。

Re: ありがとうございました。

こちらこそ、いつも訪問と応援していただいて感謝しております。来年もへたくそな文章ですが、私なりに名古屋から日本を元気に出来ればと思い、新たな歴史探訪に出かけ記事にしたいと思いますので、「蓬莱の風」を今後もよろしくお願いします。それではお体に気をつけて・・・良いお年を・・・。
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くれぴゅすきゅーる

Author:くれぴゅすきゅーる
蓬莱の風への訪問ありがとうございます!!

名古屋市は古の頃より地形に富み、かなりの集落が点在しておりました。
まるで今日の名古屋市を思わせる礎が、すでに古代より形成されていたのですね。
名古屋市の歴史、人物などにふれてご紹介していきます。

少しでも皆さんの名古屋市観光のお手伝いが出来れば幸いです。

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